倶知安町のじゃがいも栽培は、明治25年に開拓の祖のひとりであった真鍋浜三郎によって栽培されたのが始まりとされています。その後、じゃがいも栽培に研究熱心だった柳原虎藏が、形の良いじゃがいもだけを選んで種いもを作り続け、長い歳月をかけて品質の良いじゃがいもの栽培に成功しました。
そのじゃがいもは味が良いことから、倶知安町でまたたく間に栽培が広がり、北海道の特産品「蝦夷錦(えぞにしき)」として本州に出荷されるようになりました。
そのころ、初代・本間松藏が当社の原点となる「本間農産商」を倶知安にて創業しました。

松藏も取扱った「蝦夷錦(えぞにしき)」は、消費地の評判も良く、じゃがいも王国・倶知安の隆盛の礎となりましたが、病気に弱い品種のため、作付けされる品種は次第に「男爵」へと移り変わっていきました。
冷害による作物の凶作や、太平洋戦争という不遇の時代を乗り越え、復興への道をたどる昭和30年代からはじゃがいもが本格的に本州へ大量出荷されるようになりました。商機を見出した松藏は「倶知安じゃが」を主とした卸売「本間松藏商店」を始めます。民間でじゃがいも卸売を行った先駆者でした。

それまで俵詰めでの出荷が主流だったじゃがいもを初めて段ボール詰めにして出荷したり、独自の流通開拓に奔走、生産者とともに知恵と工夫で倶知安の主幹産業を支える一端を担いました。
じゃがいもの大量出荷という需要は、来秋の新しいじゃがいもを仕入れるまで、冬に腐らせず・凍らせずに長く保存し、春に発芽しないようにするかが卸売業者の大きな課題となる中、芽が出ないようにするための農薬の使用が引き金となった「有害じゃが事件」や「シストセンチュウ」という害虫が発生、倶知安のじゃがいも産業全体にとても大きな打撃を与えました。

これらを機に民間卸売業者の結束など生き残りの道を模索しましたが長く続かず、卸売の相次ぐ廃業の中、松藏は苦境を耐え忍び、度重なる困難を乗り越えてきました。松藏のじゃがいもを想う信念は世代が交代した現在も引き継がれ、低温倉庫の採用害虫対策も行い、安定した出荷を実現しています。
平成19年には創業50年を迎えるまでになりました。現在、倶知安町のじゃがいも生産量は、年間37,000トン※超。
じゃがいも抜きでは倶知安の歴史を語れないほど、その存在はとても大きなものなのです。

※平成26年 農林水産統計より

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